@article{oai:kawasakigakuen.repo.nii.ac.jp:00000126, author = {雨宮 徹 and Tohru AMEMIYA}, issue = {1}, journal = {大阪河﨑リハビリテーション大学紀要, Journal of Osaka Kawasaki Rehabilitation University}, month = {Oct}, note = {フランクルの思想において精神は、一方で価値を認識した人間の心身的諸力に対する反抗力として、他方で、無意識との関係において作用的なものとして記述される。一見したところ、両者の関係を把握するのに困難に感じられるが、拙論ではこれらの記述を統一的に理解するために「認識」と「実践」という枠を設けて論じることを試みる。この枠は、人間は問うのではなく人生から問われているものであり、人生に答えねばならないという、フランクルが人生の意味についてのコペルニクス的転回と呼ぶ命題の構造に基づいている。つまりこの命題は、人生から自分に向けられた問いを聞き取るという部分と、問いに対して具体的な行為でもって応答するという部分からなっており、前者が認識、後者が実践として解釈できる。精神はこの双方において重要な原理であるのだが、認識場面と実践場面では自ずと語られ方が異なる。その違いと、そしてまたやはりそれが同一の精神として語られる必然性を示した。, Original Article}, pages = {43--53}, title = {フランクルの「精神」についての一考察 : 認識と実践の観点から}, volume = {8}, year = {2013} }